魚野真美 詩舎 夜の目撃者

詩と、その周辺について。

辻征夫の詩

2018年になってはや1週間。
やること成すことてんこ盛りですが、一週間超特急でやってゆきたいと思います。


一つ前のエントリーで書かせてきただいた、佐々木漣さんのブログ『漣の残響』(http://sasakiren-poem.seesaa.net/)にて拙詩集『天牛蟲』の感想を書いてくれました。もしかすると、まだアップしていないかもしれません。ありがとうございます。
以下冒頭に書いて頂いた総評です。

※  ※  ※  ※

素晴らしく黒い諧謔と狂気の狭間で混沌となる世界

 全体的に、難解な語句はなく、ショートショート的な部分もあり、非常に読みやすい詩集である。それは、作品が軽いからではなく、諧謔というものを著者が自在に操ることができているからではないか?
 諧謔をなめてはいけない。眉根を寄せて書いた著者の姿が連想される詩だけが素晴らしいわけではない。むしろ諧謔は詩にとって、ひとつの息であり、古さに対する破壊行為でさえある。そこから立ち上がってくる詩には、確固たる芯があり、作品を通してそれは変わらない。
 読者が思わず、にやり、とする姿をきっと著者は楽しんでいる。人が笑えば、相手も笑うのだ。素晴らしく黒い諧謔の世界が花開いている。いったいどんな香りがするのだろうか? 狂気か、混沌か。

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自分の詩は書いていただいたこの文章に値するものになっているのか、、、恥ずかしながら大変恐縮です。読んでいただいた上に感想までいただけたこと、とても幸せに思います。



2015年、森川雅美さんが主催されている『詩客』にて辻征夫の詩について書かせていただいた。
(私の好きな詩人ー辻征夫ーhttp://blog.goo.ne.jp/sikyakuesse/e/061abe9a3725f912dec0efecb9a8837e

ふと、空白な自分自身や時間を感じた瞬間があった。
そのとき自然に手が伸びたのが辻征夫の詩集。

綿花のような温もりを感じるのに、読むとすこしヒリヒリするのでびっくりする。
それとよく内言、ひとりごとやもう一人の自分みたいなものが詩に現れる。()の中に書かれていたり、じゃ、と気さくな挨拶をしてくれる。

 気取らない言葉の中にある鋭利なもの。幼稚園の頃、私は運動場の砂の中の小さな小さなガラスの破片を探すのが好きだった。辻の詩の中でもそのようにして小さなガラス片を探してしまう。辻のそれは愛だったり、さびしさだったりする。

(私の好きな詩人から抜粋)

と、書かせてもらった。

f:id:yorumokusya:20180107014420j:plain

ちいさなトゲやガラス片が手に刺さって抜けなくなったとき、それらは心臓に到達すると母親から聞いて一生懸命取り除いていた。
大人になったいま、辻征夫の詩という欠片は皮膚を突き破る。ゆっくりと血管に流れ込み、心臓に細かな傷を無数に残す。


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耳たぶにときたま
妖精がぶらさがる
虻みたいなものだが 声は静かだ
(いまなにをしているの?)
街に降る雨を見ている
テレビは付けっぱなしだが
それはわざとしていることだ
放映を続けるテレビ
好きなんだそういうものが
(それでなにをしているの?)
雨を見ている
雨って
ひとつぶひとつぶを見ようとすると
せわしなくて疲れるものだ



岩波文庫 辻征夫詩集 谷川俊太郎 編
『河口眺望』「雨」より一部抜粋

文庫本なので気さくに手に取れるのが、辻さんの在り方に似合うような気がします。